

木月講分社とその修復について
武蔵御嶽神社 木月講分社
東京都青梅市、御岳山の頂上に鎮座する「武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)」。
江戸期に端を発し、関東近県に分布する「御嶽講(みたけこう)」の人々と、御岳山の神職・御師(おし)により
今もなお存続し、各家の神棚に、地域の祠に、ところにより分社を築いて、御嶽大神をおまつりしています。
神奈川県川崎市にも多くの御嶽講が存続しており、なかでも中原区の木月(きづき)御嶽講は、
御師の家に「木月村」として天保2(1831) 年の姓名帳が残される、歴史ある御嶽講のひとつです。
昭和7(1932) 年3月、主に木月3丁目に住まう上町の御嶽講講員によって、
石づくりの土台に、流造・銅板葺きの社殿へと改築されました。
小ぶりながらも石鳥居と石畳の参道を備えた武蔵御嶽神社の分社は、
近隣に住まう人々の心身健康や、行き交う交通の安全をお見守り続けていただいています。
境内脇がごみ収集場として利用されてはおりますが、それだけ近隣住民にとって身近なお社ということもあり、
日々、頭を下げてご挨拶をされる方、お賽銭をお持ちになる方、お供え物をお持ちになる方もおり、
なかには、受験の合格など人生の節目節目に報告にいらっしゃる方や、
「どこかで落としてしまった大切なものがこの神社に置いてあった」という方も。
毎年2月の中旬には、武蔵御嶽神社の御師により、木月とその周辺に住む人々の心身が健全でありますよう、
ひいては近くを通行する人々が事故なく安全でありますよう、変わらぬ御守護と御見守りをいただけますよう
願う祈祷が行われています。
また、境内にある「金竿神社」と刻まれた石碑は、井戸に落ちた竿を神格化し祀ったものと伝わっており、
現在は閑静な住宅街となったこの地も、かつては一面に田畑がひろがる耕作地帯であり、
そこへ水をひく大切な井戸がこのあたりにあった、という歴史をも伝えています。
令和7(2025) 年、改築からおよそ100年の経過により、銅板の屋根は剥がれ、木造の社殿も傷みが進んでいます。
社殿の修復と課題
近年、屋根の銅板が剥がれ落ちるなどの経年劣化が見られており、令和7年2月の御師の訪問時には、
銅板が強風にあおられ、今にも吹き飛ぶかのような危険なさまを目の当たりにしました。
このような状況を鑑み、地域の方に愛され親しまれるこの御社が末永く御鎮座を続けていただけますよう、
社殿の修復をさせていただく運びとなりました。
主な修復個所は、銅板葺きの屋根。
一度すべての屋根をはがし、使用できる銅板は活かしながら、あらたに屋根を葺いていきます。
社殿木造部分の痛みについては、外観に急を要する箇所は見られませんが、
屋根を支える重要な棟や梁については、屋根を剝がしてみないと詳細がわかりません。
本来であれば、見えない棟や梁などの修繕あるいは木部を取り替え、より堅固な屋根を目指したいところですが、
この100年の目まぐるしい環境の変化による御嶽講の弱体化に加え、近年の度重なる物価上昇が追い打ちとなり、
修復にかかる資金の確保が困難な状況となっています。
修復については、本社となる武蔵御嶽神社の社殿修復も請け負ってくださった、
伝統工法による社寺建築専門業者と屋根・板金施工業者へ依頼し、
令和7(2025) 年度内にて完了となる修復工事を予定しています。
木月近隣住民の方、また、何らかのご縁にて当ページをご覧いただけました方へ。
クラウドファンディングにて返礼品を用意するというかたちもとれる昨今、恐れ入りますが、
ご寄附というかたちにて、どうぞご支援・ご協力を賜われますよう、何卒よろしくお願いいたします。